Google DeepMind佐野氏に聞く、シニアとAIが共創する新しいウェルビーイングの形

Senior Staff Research Engineer, Google DeepMind Tokyo
オーストラリア国立ウーロンゴン大学にて博士(Ph.D)取得後、国立国語研究所、情報通信研究機構ユニバーサルコミュニケーション研究所を経て、2014年にGoogle入社。Gemini モデルの開発やGemini アプリ「ケア記録アシスト 」Gemの開発などを担当。
近年、私たちの生活の中に急速に浸透してきた「AI(人工知能)」。特にシニア世代や、介護に関わるご家族、そしてシニア・介護領域のビジネスを展開する企業担当者様にとって、AIがどのような恩恵をもたらすのか、関心が高まっています。
今回は、日本の介護現場における深刻な課題に向き合い、Google Gemini アプリの Gem の新しいプリセット機能として「ケア記録アシスト」を開発した、開発者 佐野大樹(以下、佐野)氏にインタビューを実施。AIによるケアに関わるすべての人々の『better co-being(より良い共生)』の実現、そして、人と人が深くつながるためのテクノロジーの未来についてお話しを伺いました。
日本の介護現場に、人が人と繋がる時間を。Gemini アプリの Gem 機能に「ケア記録アシスト」を公開
https://blog.google/intl/ja-jp/company-news/technology/caremanager
おしるこ:佐野さん、本日はよろしくお願いいたします。
佐野氏:よろしくお願いいたします。Google DeepMindの佐野です。私はAIに特化した研究機関であるGoogle DeepMind東京で、リサーチエンジニアとしてAIの開発や評価に従事しています。チームの中には、実際に医師の資格を持つ者や、家族の介護を経験しているメンバーもいます。
第1章:シニアの孤独解消とAIの可能性——「おしるこ」の挑戦
おしるこ:我々50歳以上の安心コミュニティ「おしるこ」を運営する立場として、私たちが今関心を持っているのが、「高齢化社会においてAIがどう貢献できるか」というテーマです。現在、おしるこのアプリ内にはAIと会話できる機能を導入しており、AIとコミュニケーションをとることで社会的なフレイル(心身の活力低下)を抑制する実証実験も行っています。孤独感の解消を目指すにあたって、まずは会話で寄り添ってくれるAIが介入することで、人と人とのつながりを生み出すステップになるのではないかと考えています。
佐野氏:おしるこの「人と人をつなぐためにAIを活用する」というアプローチには、非常に共感します。AIを単なる効率化の道具としてではなく、コミュニケーションのきっかけや孤独解消の糸口として活用されている点は、私たちが目指すテクノロジーのあり方と重なる部分が大きいです。

第2章:介護現場の悲鳴を救う。「ケア記録アシスト」誕生の背景
おしるこ:今回、Googleは日本の介護現場に向けて、GeminiアプリのGem機能を利用した「ケア記録アシスト」を公開しました。まずはこの機能が開発された背景について教えていただけますでしょうか。
佐野氏:はい。日本だけでなく、韓国やヨーロッパなど世界中で高齢化が進んでおり、それに伴う課題が山積しています。介護業界は深刻な人手不足に直面しており、今後さらに数十万人の介護人材が必要になると予測されています。一方で、AIという技術が世の中に出てきたものの、「実際の現場でどう使えばいいのか難しい」というお声をよく耳にします。
そこで私たちは、北は北海道から南は鹿児島まで、日本全国の様々な介護施設にインタビューを行いました。すると、現場の皆様が特に負担に感じているのが「記録業務」であることが分かりました。一人のスタッフが何人もの利用者様をケアし、業務が終わってからの残業や昼休みの時間を削って記録を書いている。これが離職率にもつながっているというフィードバックをいただきました。この不可欠だけれど時間のかかる業務が、利用者一人ひとりと向き合う貴重な時間を奪ってしまっていたのです。
おしるこ:現場のリアルな課題から生まれたのですね。具体的にはどのような機能なのでしょうか?
佐野氏:一言で言えば、日々の記録作成プロセスを劇的に効率化するツールです。例えば、業務中に取った短い音声メモや、手書きのメモを撮った写真などを入力するだけで、SOAPやF-DAR形式といったプロフェッショナルな介護記録の草案をAIが瞬時に作成してくれます。
また、日本の介護現場では海外から来られた外国人スタッフの方々も多く活躍されています。公式な介護記録の日本語表現は彼らにとって非常に難しいものですが、この機能を使えば、例えばベトナム語で入力した内容を、適切な日本語の介護記録に変換して出力することも可能です。
第3章:どんな現場でも使える「カスタマイズ性」と「安全」への徹底したこだわり
おしるこ:素晴らしい機能ですね。ただ、介護施設によってはITに詳しい人材がいなかったり、新しいシステムを導入する予算がないという問題もあると思います。その点はどうクリアされたのでしょうか?
佐野氏:おっしゃる通りです。専属のエンジニアがいてAI導入の環境が整っている施設がある一方で、予算や時間的コストの壁から「そもそも導入は無理だ」と諦めてしまう施設もたくさんあります。
だからこそ今回は、日本のGoogle Workspaceユーザーに向けて公開し、Geminiアプリの「Gem」という比較的容易に使える機能を利用する設計にしました。これにより、新たなシステム導入のコストをかけることなく、小さな現場でも簡単に導入することができます。
さらにこだわったのが「カスタマイズ性」です。施設ごとに記入のルールや使っている専門用語は異なります。そこで私たちは、AIを動かすための「カスタム指示(プロンプト)」を公開し、コピーして編集できるようにしました。現場の方々が日常の日本語で「こういう言い換えルールを追加してください」と書き込むだけで、自分たちの施設専用のAIにカスタマイズできる仕組みにしています。
おしるこ:介護記録には個人情報などの機微なデータも含まれますが、セキュリティやプライバシーの面はいかがでしょうか。
佐野氏:健康情報は非常にセンシティブな問題ですので、セキュリティは最優先事項として設計しています。この「ケア記録アシスト」はエンタープライズレベルのセキュリティ基盤上で提供されており、入力されたデータが組織外で共有されたり、GoogleのAIモデルの学習に使用されたりすることは一切ありません。
また、AIが作成するのはあくまで「草案(ドラフト)」に限定しています。最終的には必ず人間の介護スタッフが内容を確認・修正し、承認することで正式な記録とする「Human-in-the-loop(人間が介在する)」という仕組みを前提にしています。テクノロジーがすべてを代替するのではなく、安全性を担保しながら人の業務をサポートするアプローチを大切にしています。
第4章:実証実験で見えた「20%の時間削減」と「精神的ゆとり」
おしるこ:実際に導入された現場からは、どのような反響がありましたか?
佐野氏:株式会社シーユーシー(CUC)様にご協力いただき実証実験を行った結果、介護記録の作成において約20%の時間を削減できることが確認されました。この削減できた時間を利用者様へのケアの質向上や、直接コミュニケーションをとる時間に充てられるようになったという嬉しい報告をいただいています。
興味深かったのは、AIは経験の浅い方に効果があると思われがちですが、実際にはベテランのスタッフからも「大幅な時間短縮になった」という声をいただいたことです。また、手書きやタイピングではなく「音声」で記録が作れるようになったことで、パソコン入力が苦手な方の「精神的な苦痛がなくなった」というフィードバックもありました。単純な効率化だけでなく、精神的なゆとりにつながったことは大きな成果だと感じています。
今回の取り組みに対し、監修いただいた慶應義塾大学の宮田裕章教授からも「本取り組みは、記録業務という間接業務の負担を取り除き、介護の本質である『人と人との触れ合い』が求められる直接業務への時間を創出する、極めて重要なアプローチである」とのコメントをいただいており、ケアに関わるすべての人々の『better co-being(より良い共生)』につながると期待されています。
なお、この基盤となっている「Gemini 3.0 Flash」というモデルは、日本の介護の専門知識において極めて高い理解力を示しており、介護福祉士国家試験においては精度100%を達成しています。これにより、専門用語の文脈を正確に理解し、自然な記録の作成が可能になっています。

第5章:AIは「人と人をつなぐ触媒」。家族介護における温かい活用法
おしるこ:ここからは少し視野を広げて、「AIとシニアの生活」というテーマでお伺いしたいと思います。おしるこの会員様の中には、ご自身が50代・60代で、70代・80代の親御さんの介護をされている方も非常に多いです。家族として介護に向き合う際、AIはどのように役立つとお考えですか?
佐野氏:介護というのは、される側にとってもする側にとっても、個人ですべての負担を受け止められるものではありません。AIは、人がより良く生きるための「手助けをするツール」になるべきだと考えています。
少し意外な活用例をご紹介します。私の同僚で、自分の親の介護をしている者がいます。親御さんは認知症を患っており、施設に入居されているのですが、ある時、施設のスタッフが画像生成AIを使って、親御さんのバースデーカードを作ってくれたそうです。実際には着物に着替えたりドレスアップして外出するのは難しい状況でも、AIを使って綺麗にドレスアップしたような写真を作り、プレゼントしてくれました。
おしるこ:それは素敵なエピソードですね。
佐野氏:はい。その写真を見たことがきっかけで、親御さんとの間に新しい会話が生まれ、笑顔や家族の温かい時間につながりました。AIが単なる効率化ツールではなく、現場から生まれた温かいアイデアによって「コミュニケーションのきっかけ」を作った素晴らしい事例です。
また、介護は突然始まることも多いですよね。親が転倒してしまい、急に知識がない状態から介護のサポートを始めなければならない時、Googleの「ディープリサーチ」のような機能が役立ちます。膨大なウェブサイトや口コミを探し回り、役所の難しい制度の文章を読む代わりに、AIが自分に代わって情報を集め、分かりやすい文章にまとめてくれます。さらに、それを図解にしたり、ポッドキャストのような音声形式にして通勤電車の中で聞けるようにしたりと、負担なく情報を吸収するためのサポートもAIが得意とするところです。
第6章:シニアの日常を豊かにするAIと、コミュニティの役割
おしるこ:おしるこでも趣味や健康の情報発信を行っていますが、日々の生活を豊かにするという意味でのAI活用はいかがでしょうか。
佐野氏:例えば、スーパーローカルな情報をAIに集めさせることも可能です。お住まいの地域で今週どんなイベントがあるか、自分に関心のある趣味の情報を定期的にAIにまとめてもらい、「朝起きてちょっと見て、今日はこういうことをしてみようか」と一日のプランニングをするような使い方もできます。
AIはまだ専門家のための難しいツールだと思われている方も多いかもしれませんが、こうした日常の「人と人をつなぐ」「生活を豊かにする」具体的な使い方を、おしるこさんのようなコミュニティで見つけて、共有し合っていくことがとても重要だと思います。
おしるこ:おしるこは匿名型のコミュニティなので、実名では話しにくいお金の話や人間関係、そして介護の苦しみなどを吐き出したり相談したりする場にもなっています。シニアの方々が抱える、自分の中にしかない苦しさを共有する相手として、コミュニティやAIの存在意義はますます高まっていると感じます。
佐野氏:まさにその通りですね。AIを活用する上でも、ユーザーがどういう状況に置かれているかというコンテキスト(背景情報)を理解して寄り添うことが今後さらに求められていきます。
第7章:AIと創る「よりよく生きる(ウェルビーイング)」ための未来
———おしるこ:介護されるご本人にとってのAIの未来についてはどう思われますか?施設に入居した後でも、AIの中に自分の経歴や家族との思い出が蓄積されていれば、職員の方でなくても、AIを通じて家族を身近に感じられたり、心の安らぎを得られたりするのではないかと思うのですが。
佐野氏:非常に重要な視点です。初期のAIは機能が完結していましたが、これからはユーザーやご家族の情報などを前提として対話する「コンテキストエンジニアリング」が進化していきます。介護スタッフやご家族が忙しくて思い出を振り返る時間を取れない時でも、AIが過去の思い出を引き出し、ご家族を近くに感じられるような時間を提供する。そして実際に家族が面会に来た時に、その話題でさらに盛り上がるといった方向性は確実にあります。
私たちの開発の根底にあるのは、単なる業務の効率化ではなく、「人生の豊かさ(ウェルビーイング)を前提としたAIの使い方」を提供することです。
おしるこ:最後に、この記事を読んでくださっている50代以上の皆様、そしてシニア・介護領域に携わる企業の皆様へメッセージをお願いします。
佐野氏:Googleは「日本の独自性を生かしてAIのブレイクスルーを開拓し、世界的な課題を解決に導く」という大きなミッションを持っています。高齢化という課題の先進国であるこの日本で、AIがシニアの生活や介護の現場にどう役立つのか、その具体的な実践例を一つひとつ積み重ねていくことが、必ず世界の課題解決につながると信じています。
AIは決して特定の世代や仕事だけのものではありません。むしろ、シニア層の方々やそのご家族の皆様にこそ、何気ない日常の中で「あ、AIがいてよかったな」と実感していただけるような、温かいイノベーションを起こしていきたいと考えています。ぜひ皆様と一緒に、AIを活用した新しいウェルビーイングの形を創り上げていければと思います。
おしるこ:AIが人と人の温かいつながりを守るための強力なサポーターになる未来が、すぐそこまで来ていることを実感しました。我々も、シニアの皆様の孤独・孤立対策や、より良い社会の実現に向けて、企業間連携を含めて引き続き尽力してまいります。本日は貴重なお話をありがとうございました。
【編集後記】 いかがでしたでしょうか。AIと聞くと「冷たい機械」「仕事を奪うもの」といったイメージを持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、Google DeepMindが目指すのは、「人が人とつながる時間を守るため」の温かいテクノロジーです。
「おしるこ」では、これからも50代以上の皆様の毎日がより豊かで安心できるものになるよう、最新の役立つ情報をお届けしていきます

