─広島の町工場8代目が語る「問い」から生まれたストレッチソックス®【PR】
広島の小さな町工場から、転倒予防の概念を変えうるプロダクトが生まれた。
その名は ストレッチソックス®。履いて引く——ただそれだけの動作で、足首の可動域が広がり、姿勢が整う。
その効果は医学的にも検証され、自治体や医療・介護領域でも注目が高まっている。
だが、このプロダクトを語るうえで外せないのは、技術そのものよりも、開発者・横山宗治氏の“問い”と“思想”である。
「どうして人は転ぶのか?」
「なぜ小さな段差で人生が変わってしまうのか?」
「町工場が社会課題に向き合うとはどういうことか?」
ストレッチソックス®は、単なる靴下ではない。
それは広島の150年以上続く町工場が、未来に挑むために生み出した“問いの結晶”であり、
一人の経営者が、祖母の転倒をきっかけに生涯向き合うと決めた「社会との接続」そのものだ。
ここでは、横山氏が語る「開発の源泉」「生まれた瞬間のドラマ」「町工場の危機感」「若者とともに未来をつくる理由」を紐解きながら、ストレッチソックス®の本質に迫る。
祖母の転倒──“違和感”から始まった問い
物語の起点は、横山氏の祖母の転倒だった。
わずかな段差につまずき、大腿骨を骨折。幸い、強靭な意志で翌日からリハビリを開始し、自力で歩けるほどに回復した。しかしその出来事は、横山氏に深い“違和感”を残す。
「転倒が原因で寝たきりになってしまう高齢者も少なくない。介護負担や医療費負担が課題と言われるが、もっとも負担を感じるのは、歩くことが困難になった本人ではないだろうか? そして、そもそもなぜわずかな段差につまづいてしまうのか?」
一般に、高齢者の転倒は筋力低下が主因だと語られる。
だが彼は、医療現場の話を聞きながら感じていた。
「筋力低下とともに、関節可動域も狭くなっている。
つまり“動ける角度がない”状態なんです。」
この違和感こそが、のちにストレッチソックス®を生み出す“問いの核”となる。
自分自身の身体で確信する──「50代まで前屈で床に手がつかなかった」
祖母の転倒をきっかけに、横山氏はまず「自分の身体」を調べてみた。
50歳を過ぎて、人生で一度も前屈で床に手をついたことがなかった。
足首が硬い。腰も張る。
「前屈の改善が足関節可動域を広げる可能性があるのではないか?」
彼は試作品をつくり、自ら半年間検証を続けた。
湯船につかりながら足首を伸ばす。イスを使って前屈する。お風呂上がりにふくらはぎを伸ばす。
静かな反復だったが、3ヶ月後、劇的な変化が起きた。
手のひらが床についた。
さらに、長年悩まされていた腰痛・背中の張り・夜間の足のつりが消えた。
周囲には「姿勢が良くなった」と言われるようになった。
「身体は変わる。
年齢ではなく、構造変容と継続で決まる。」
この体験が、横山氏の中で“確信”に変わった瞬間だった。
奥様の何気ないひと言──プロダクトの核心が生まれた瞬間
ストレッチソックス®の誕生には、科学的洞察だけでなく、ある象徴的な出来事がある。
当時、横山氏は毎日のように素材を買い漁っていた。紐、ロープ、ゴム、スリッパ、スポーツ用品……。頭の中に描く「理想の構造」に近づけず、答えは見えない。
そんなある日のこと、奥様がズボンの片方に脚を通してみせ、こう言った。
「こうやって引けばいいんじゃない?」
その瞬間だった。点と点がつながり、ぼんやりしていた構造が、鮮やかに立ち上がった。
“履いて引く”——たったそれだけで、足首の可動域が出る。
「生活の中に答えがある」
「構造はシンプルでなければならない」
横山氏は静かに、しかし確かな手応えとともに、こう思ったという。
「この形なら、誰でも続けられる。頑張らなくていいセルフケアがつくれる。」
ストレッチソックス®の原型は、この瞬間に決まった。
広島の町工場150年──“このままでは未来がない”という葛藤
横山氏は、150年以上続く横山セイミツの8代目だ。
創業は明治2年。手縫い針をつくる小さな工場から始まり、広島の産業を支えてきた。
しかし、彼が入社した頃、状況は厳しかった。
下請け100%。取引先の需要ひとつで経営が大きく揺れる。若い社員はなかなか入ってこず、技術継承も進まない。
「それでは一体、なんのために150年続いてきたのか?」
それは数字以上に、横山氏にとって“存在そのものに対する危機”だった。
だからこそ、彼は問い続けた。
「会社は何のために存在するのか?」
「広島における町工場の役割とは?」
「社会課題を解くことが、次の100年をつくるのではないか?」
そうして、下請け構造から脱却するための改革が始まった。
- 職務発明規程の導入(社員の発明を正しく評価)
- デザイン思考の導入(Whyから始める文化)
- 大学・地域との共創コミュニティづくり
- 自社開発への挑戦
この流れの中で、“ストレッチソックス®”が事業としての光を帯び始める。
科学 × 町工場 × 大学の共創──広島大学との2年の検証
横山氏は、プロダクトを「経験則」で終わらせたくなかった。そこで、広島大学 医学部 スポーツリハビリテーション学研究室と協働し、2年にわたる実証を開始する。
- 足関節の可動域は本当に広がるのか
- 姿勢の変化は再現性があるか
- 生活動作にどんな影響があるか
医師、理学療法士、アスリートトレーナーがデータを取り続け、成果は明らかになっていく。
足首が動けば、姿勢と歩行が変わる。
姿勢が変われば、転倒リスクは下がる。
町工場の技術と医学的エビデンスが結びついた瞬間だった。
若者と未来をつくる──「50年後に転倒で寝たきりになる人をゼロにしたい」
横山氏のビジョンは、プロダクト開発に留まらない。彼がしばしば語る言葉がある。
「未来を変えるのは、未来を生きる世代だけ。」
そのため、横山氏は大学生や若手とともにプロジェクトを進めている。
広島県の実証事業「D-EGGS」では、Z世代と共に未来の社会像を描き、実装まで進めた。
なぜ若者なのか?横山氏は答える。
「私たち50代が“50年後の世界”を確かめることはできない。
だけど、今の10代・20代なら、その世界を生きる。
彼らが『社会は変えられる』と思える経験を渡すことこそ、町工場が未来にできる最大の投資なんです。」
これは行政が求めている “持続可能な地域社会”“世代連携”“予防医療”と深く響き合う視点だ。
ストレッチソックス®は、その象徴的なモデルなのである。
ストレッチソックス®が切り拓く“セルフケア社会”の未来
横山氏は、セルフケアが自然に溶け込む生活を構想している
「やる気」や「努力」に依存させては続かない。仕組みで整え、生活に溶け込ませ、「気づけば健康になっている」状態をつくる。
これは自治体の健康政策におけるキーコンセプト 一次予防・健康寿命延伸・行動変容の促進とも深く合致する。
ストレッチソックス®は、地域の食堂(ヘルスケアハブ)やシニアSNS「おしるこ」と連動しながら、 “住民参加型の予防インフラ”として機能し始めている。
横山宗治氏が見る未来──「自律」と「自立」というキーワード
横山氏は言う。横山氏はこう語る。
「人の身体が“自律”すると、生活が自立する。そして企業も同じで、組織が自律してはじめて、自立が可能になる。」
身体の自律とは、努力や意識ではなく、正しい構造が整うことで自然と動作が最適化されること。頑張らなくても姿勢が良くなる、転ばない身体になる——それは身体そのものが自律的に機能している結果だ。
そして 生活の自立は、その自律がもたらす結果だ。自分で歩ける、外出できる、人と会える。人の人生は「身体が自律すると、生活が自立する」という順で変わっていく。
横山氏は続ける。
「企業も同じなんです。一人ひとりが考え、判断し、内側から動ける自律した組織であってこそ、外部に依存しない自立した状態に近づける。」
つまり、
自律(Autonomous)=内側から動ける状態
自立(Independent)=外側に依存しない状態
ストレッチソックス®と横山セイミツの哲学は、この二つの“じりつ”を中心に据えている。
広島の町工場から生まれた“問いの力”
ストレッチソックス®は靴下ではない。
それは、「人はなぜ転ぶのか?」という問いに対する社会的な解答の可能性であり、
150年続いた町工場が未来に賭けた挑戦であり、若者と地域と科学がつながるための小さな装置である。
そして何より、横山宗治という一人の人間が、祖母の転倒から始まり、町工場の危機を乗り越え、生活の中から構造を見抜き、未来を信じ、問い続けた物語そのものだ。
“姿勢が整う”とは、身体だけの話ではない。
人も企業も社会も、進むべき方向を見つけたとき、自然と立ち上がる。
ストレッチソックス®は、その「はじまりの一歩」を支えるために生まれたのだ。
<話を聞いた人>
代表取締役 横山 宗治(よこやま・むねはる)さん
株式会社横山セイミツ
- 広島市出身。ワシントン州立大学卒、人類学専攻。卒業後は米国デトロイトの金融機関に勤務。先代死去に伴い2000年に横山セイミツに入社。
- 2015年、創業150年以上の町工場・横山セイミツの8代目代表に就任。
- 自身の身体検証と学問的視点から ストレッチソックス® を開発。
- 「50年後に転倒で寝たきりになる人をゼロにする」をビジョンに掲げ、ストレッチソックス®をハブに、地域の課題解決・健康寿命延伸・産業創造を接続する、地方創生型オープンイノベーションを実行している。
- 日本ストレッチング協会認定ストレッチトレーナー
- 一般社団法人日本転倒予防学会認定転倒予防士

